2016年1月21日木曜日

消極的な選択

独身の頃は、どこにでも興味が向いたら飛んで行った。
屋久島に人に会いに、トルコに自給自足のくらしをしに…
でも、今はなかなかそれができない。

今日、気になっていたイベントが隣町であった。
「海外」「育児」「自然」
集まる人も自分と同じような空気を感じる。

でも、行くのをやめた。

息子が電車で泣き出しても、いつものように「大丈夫だよ」と言えるか。
息子が電車でおしゃべりを始めても、ずっと話し相手になれるか。
息子が会場でうんちしても、すぐにおむつ替えてあげられるか。
息子が静寂の中で立派なおならしても、わたしは堂々としていられるか。
息子がお腹すいたときに、すぐにおっぱいあげられるか。
雪が強く降ってきたときに、わたしは息子をきちんと覆えるか。
雪道で滑りそうになったときに、わたしは息子を守れるか。


基準は「息子と自分が心地よいか(安全安心なのか)」。

自分に余裕がないと、楽しくない。
それが息子にも伝わる。

夫に何度も「行かなくていいの?」と揺さぶりをかけられた。
意地悪だなあと思いつつ、その都度悩む。

「うん、行かないことに決めた!」と言ったら、
「よく決断しました!」と返ってきた。
やっぱり意地悪だと思う。

今までだったら動かないのは消極的な選択。
でも、こういう思考もありなんだと思う。
自分だけじゃないから。

きっと逢うべき人や情報にはどこかで逢えるはず。

雪が止んだら、お散歩に行ってきます。

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