わたしはお皿を洗う。
お義母さんは洗濯物を干す。
息子はお義母さんの横のベビーラックに座っている。
息子、お義母さんに抱っこをせがむ。
義母「洗濯物あと5つだからね。」
息子 泣く
義母「お母さんもがんばっているからね。」
息子 泣く
義母「ほら、終わった。よーく我慢したね!」
お義母さん、笑顔で息子を抱っこする。
息子満足そう。
わたし、なんだか腑に落ちない感情が湧く。
どうやら「我慢したね」って言葉に反応したみたい。
大人の都合で、待たせている。
我慢させる状況を好まないのは前提。
その上で、我慢の程度を評価するのはおかしいよな。
「よく我慢した」ではなくて
「待ってくれてありがとう」
「わたしも抱っこしたかったよ」がよかったんだよな。
もっとも、息子が泣いた時点で
わたしが手を止めて抱っこすればよかった。
自分のことを振り返ると
わたしは「ちょっと待って」と1日に何回か言っている。
「ちょっと」のはずが熱中してしまったりする。
その度に、いかんいかんと反省する。
息子にとって「ちょっと待って」が
「しばらく構ってもらえない」「ママには余裕がない」になったら怖い。
「あと3分で終わるよ」みたいに具体的に伝えるようにしたい。
声に出して、自分にもその約束を言い聞かせて。
お義母さんは、そのへんが上手。
今朝の「洗濯物5つ」のように。
(そのあとに「靴下3つ」が追加で出てきたりするけれど)
責任を持ってことばを口にしたい。
とにもかくにも、息子よ。
いつも待ってくれてありがとう。
大人に合わせてくれてありがとう。
きのう雪が降ったけれど、河原の桜はまだ残っていた。
息子、ベンチで寝た。
気持ちよかったね。
0 件のコメント:
コメントを投稿